笠間焼のあゆみ

1700

  • 1701元禄14年

    久野半右衛門道延、常陸国箱田に生まれる。

  • 1747延享4年

    笠間藩主牧野貞通公、日向より笠間に移封される。

  • 1748延享5年

    江幡平右衛門等徳銘と延享五年銘の祠がつくられる。

  • 1760宝暦10年

    宍戸焼の祖と伝えられる山口勘兵衛、宍戸に生まれる。

  • 1772安永年

    中久野半右衛門道延、信楽陶工長右衛門の指導により、製陶を始める。(箱田焼誕生)

  • 1781天明年

    中久野瀬兵衛益信、信楽陶工吉三郎と共に生産にのりだす。

  • 1782天明2年

    初代久野半右衛門道延、82歳で死す。

  • 1783天明3年

    天明の大飢饉により領内疲弊する。

  • 1789寛政年

    中笠間藩主牧野貞喜公、城内でお庭焼を始める。

  • 1791寛政3年

    2代久野瀬兵衛益信、55歳で死す。

  • 1795寛政7年

    山口勘右衛門、山口家の養子となり、宍戸にて窯業に従事する。

1800

  • 1816文化13年

    山口勘兵衛勘助、宍戸の小人町に生まれる。

  • 1822文政5年

    仕法窯に指定された関根源蔵、笠間の石井に生まれる。

  • 1829文政12年

    田中友三郎、岐阜美濃の大垣に生まれる。

  • 1830天保元年

    山口勘兵衛勘助、窯業を継ぐ。
    4代久野瀬兵衛道等の頃、益子焼陶祖大塚啓三郎が久野窯にて陶法を学ぶ。

  • 1840天保11年

    山口勘兵衛勘助、斎藤栄三郎に製陶法を授ける。

  • 1848嘉永元年

    宇津惣右衛門、手越に開窯する。

  • 1850嘉永3年

    岐阜生まれの山口窯陶工重兵衛、宍戸にて死す。

  • 1851嘉永4年

    山口勘右衛門、宍戸の小人町にて死す。

  • 1853嘉永6年

    大塚啓三郎、益子にて開窯する。

  • 1854安政元年

    山口勘兵衛勘助、小砂にて反射炉レンガをつくる。

  • 1861文久元年

    牧野貞直公、仕法窯6カ所指定す。
    久野瀬兵衛道然窯(現久野窯)
    園部倉次窯(現高瀬窯)
    関根源蔵窯(田中窯の後、廃窯)
    園部善六窯(現福田窯)
    堀金兵衛窯(現奥田窯)
    某窯(来栖利衛門窯か-廃窯)
    田中友三郎、笠間に来て居を定める。

  • 1869明治2年

    田中友三郎、関根源蔵窯を譲り受け窯業を始める。このころから、田中友三郎により、箱田焼と宍戸焼が笠間焼として横浜で販売され、その名が広まる。

  • 1873明治6年

    関根源蔵、47歳で死す。

  • 1877明治10年

    田中友三郎、内国博覧会にて茶壷が1等となり、ますます笠間焼の名声が高まる。

  • 1880明治13年

    山口勘兵衛勘助、64歳で死す。

  • 1881明治14年

    久野瀬兵衛道然、38歳で死す。

  • 1882明治15年

    『笠間陶器沿革誌』 書写される。

  • 1884明治17年

    久野長右衛門、箱田金剛寺に久野松治郎とともに、花器一対を贈る。

  • 1887明治20年

    笠間・益子陶器製造業者等により、陶器製造組合が設立される。

  • 1888明治21年

    笠間陶器製造業者等により、茨城県陶器業組合が設立される。

  • 1889明治22年

    水戸線が開通する。

  • 1891明治24年

    堀金兵衛死す。
    このころ、西茨城陶器業組合が設立される。
    頭取田中友三郎 惣代森田康造

1900

  • 1901明治34年

    宇津惣右衛門、78歳で死す。

  • 1902明治35年

    西茨城郡立陶器伝習所が設立される。

  • 1903明治36年

    磯部秋次郎、第5回内国勧業博覧会にて陶器瓶類で3等となる。

  • 1907明治40年

    笠間陶器同業組合が設立される。
    田中友三郎  副組長 来栖寅吉  理事 久野善吉
    組合員19名組長

  • 1910明治43年

    北村弥一郎博士、笠間焼調査のため来町する。笠間陶器同業組合が共同販売所を設置する。

  • 1911明治44年

    笠間職工篠田辨次、笠間陶器職工競技品評会で1等となる。

  • 1913大正2年

    田中友三郎、84歳で死す。

  • 1918大正7年

    陶釉製造合資会社が設立される。

  • 1923大正12年

    関東大震災おこる。

  • 1932昭和7年

    笠間陶器工業組合が設立される。

  • 1935昭和10年

    乾式製土工場が設置される。

  • 1940昭和15年

    価格統制令がしかれる。

  • 1941昭和16年

    協定賃金制がしかれる。

  • 1945昭和20年

    太平洋戦争がおわる。

  • 1947昭和22年

    笠間陶器商工業組合が設立される。(組合員15名)

  • 1950昭和25年

    茨城県窯業指導所が笠間市下市毛に開設される。

  • 1956昭和31年

    笠間陶器協同組合が設立される。(組合員8名)このころより、各種展示即売会、研究会、講習会、展覧会等が開かれるようになる。

  • 1963昭和38年

    笠間陶芸団地造成会が結成され、陶業者の移住が図られる。

  • 1966昭和41年

    芸術村が笠間市下市毛に開かれる。

  • 1972昭和47年

    窯業団地が造成される。

  • 1978昭和53年

    笠間焼連合組合が結成される。

  • 1982昭和57年

    第1回笠間の陶炎祭が開催される。

  • 1991平成3年

    笠間焼協同組合が設立される。

  • 1992平成4年

    笠間焼が国の伝統的工芸品に指定される。

  • 1995平成7年

    茨城県窯業指導所が笠間芸術の森公園隣接地に移転する。

  • 1997平成9年

    茨城県立歴史館主催 特別展「笠間焼200年のあゆみ」開催。笠間焼協同組合精土工場が完成する。

  • 1998平成10年

    陶芸体験施設「笠間工芸の丘」が開館。第1回笠間焼フェア(現・陶と暮らし。)が開催される。

2000

  • 2000平成12年

    東日本初の陶芸専門美術館「茨城県陶芸美術館」が開館される。
    第1回彩初窯市が開催される。

  • 2009平成21年

    耐熱食器「笠間火器」の販売が始まる。

  • 2011平成23年

    東日本大震災が発生。

  • 2013平成25年

    笠間土100%のやきもの「純・笠間焼」の販売が始まる。

  • 2016平成28年

    茨城県立笠間陶芸大学校(茨城県窯業指導所を改称)が開校される。

  • 2018平成30年

    笠間焼後継者育成のための施設「笠間陶芸修行工房スタジオNido」を市が開設する。

  • 2020令和2年

    笠間市と栃木県益子町の焼き物文化と歴史を紡いだストーリー「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ”焼き物語”~」 が日本遺産に認定される。

  • 2022令和4年

    笠間焼が誕生250年を迎える。